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千葉地方裁判所一宮支部 昭和31年(ワ)31号 判決

原告 高川軍一

被告 戸村水産株式会社

主文

被告は原告に対し金十萬円およびこれに対する昭和三十一年八月二十五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

本判決は原告勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

一  原告が昭和三十一年五月十三日午前六時二十分頃長生郡白子町古所三、二六一番地先の県道(北方九十九里町方面より南方長生村に通ずる道路)と十字型に交さする町道を第二種原動機付自転車で西から東に向つて進行し右県道との交さ点において左折北進したところ、折柄右県道を南進してきた被告会社の使用人鶴岡章男の運転する被告会社所有の小型四輪貨物自動車と接触し、これにより原告が負傷したこと、および原告が医師に治療費千七百四十円を支払つたことは当事者間に争いがない。

二  よつて本件事故の具体的経過等について考察するに、

(一)  成立に争いのない乙第二号証(司法警察員の実況見分調書)および検証の結果によると、原告が原動機付自転車で進行してきた町道と被告の自転車が通行してきた県道とは白子町古所三、二六一番地先において十字型に交さし、県道の幅員は約六米町道の幅員は約三米で、現場附近の道路両側には密生した槇の生垣が連続していて双互に交通状況を見通すことができず、いずれも非舖装の砂利道で県道の地磐は割合に堅いが諸所に凹凸のあることが認められる。

(二)  成立に争いのない乙第一号証(原告の司法警察員に対する供述調書)、前掲乙第二号証、証人高川松吉郎の証言および原告本人の供述(後記措信しない部分を除く)によると、原告は当日山仕事に行くため農業用馬車を点検したところタイヤの空気が抜けていたので自動車用の空気ポンプを借りるべく、本件原動機付自転車に乗つて肩書自宅から白子町古所三、二六一番地の実弟高川松吉郎方に赴き空気ポンプを借りたが、同人から朝食を食つて行くようにすすめられたのを忙しいからと断わり、早々に辞去して同人方横から県道に通ずる町道に出て原動機付自転車に乗り、エンジンを始動するため足でペタルを踏みながら五、六米進行し、県道との交さ点に差しかかる少し手前でエンジンが始動したので、そのまま、当時早朝のことで交通量も少ないから危険はないものと軽信して、一時停車ないしは徐行することなく、時速約八粁で県道に乗り入れて左折したこと、左折した瞬間眼前に被告の自動車が進行してくるのを発見したので急拠右足でブレーキを踏みながらハンドルを左に切つて避けようとしたが僅かに及ばず、自動車の右側フエンダーに自転車のハンドル右側および右側ステツプが接触したことをそれぞれ認めることができる。原告は、原告が高川松吉郎方の横から自転車に乗つた位置より県道との交さ点までの距離は僅かに十間内外の短距離であり、交さ点で左折するのであるから急速力は出し得ぬ場合であつて、交さ点に至る際は極度の徐行をし片足を地に付け何時でも停車し得る態勢であつたと主張し、原告本人も同趣旨の供述をしているが、後段認定の衝突の態様、前掲各証拠ならびに後掲証人鶴岡章男、鈴木さく、戸村ふじの各証言に照らして原告本人の右供述は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告のこの点に関する主張は採用できない。原告が自転車に乗つてから交さ点に差しかかるまでの距離が十間内外であつても、この間に時速八 (人の歩行速度の二倍程度)に達することは容易であると考えられ、又原告が交さ点を左折するとき左足を地面につけたことはあるとしても、これはむしろ円心力による外方への転倒を避けるため車体を左方に傾けて進行したためと認めるのを相当とする。

(三)  成立に争いのない甲第二号証(診断書)、前乙第二号証、証人秋庭庄一、鶴岡章男、鈴木さく、戸村敏治の各証言および検証の結果によると、鶴岡章男は被告会社所有の小型四輪貨物自動車(トヨペツト)千四す〇一八九号を運転し、鈴木さくを運転台助手席に、戸村ふじ外三名を荷台に同乗させて前同日早朝九十九里町を出発し、長生村に通ずる県道を南下して午前六時二十分頃時速約二十で本件事故現場附近に差しかかつた(早朝ではあつたがすでに日出後で前照燈をつける必要はなかつた)こと、事故現場の手前約二十米の進路上に直経約四米の水溜りがあつたのでこれを避けて道路の右側に出たところ、折柄県道東側にそつて北進する自転車乗りがあつたのでこれと行き違うため、なお、右側を進行し、前記のとおり県道の両側には の生垣が連続していて、県道と交さする町道の存在が一見明瞭でなく、当時早朝のことで通行の車馬又は歩行者も殆んどない状況であつたから、進路前方には危険はないものと軽信し、前記自転車乗りの方に注意を向けながら、自動車の車体右側が県道の西端生垣から約一・五米(車体左側は県道東端から約三米)の位置をそのまま進行したこと、交さ点の約三米位手前に来たとき原告が原動機付自転車で右手の町道から県道に乗り入れ、やや大曲りに左折して自動車の直前に出てきたのを発見し、ハンドルを左に切ると同時に急停車の措置をとり、自動車の前端が町道の北端から約一米、車体右側が県道の西端から前部で約一・八米、後部で約一・四米、車体左側が県道の東端から前部で約二・八米、後部で約三米の位置で停車したが、停車の寸前もしくは停車と殆んど同時に、原告の原動機付自転車が前記のとおり自動車の右側フロントフエンダーに側面接触して停車したこと、原告は左足を地面につけ横転するには至らなかつたが、接触の衝撃で自転車のハンドルが深く左方に切られた形となり、左手示指をハンドルと自車のガソリンタンクとの中間に押しつけられて左示指挫滅創(および右手背擦過創)の傷害を負い、左示指第一節より先端にわたる間わずかに、面の皮膚で接続する状態となつたこと、をそれぞれ認めることができる。前掲乙第二号証には、自動車は時速二十二、三粁で進行していたもので、タイヤスリツプ跡が三米六十糎あつた旨の記載があるけれども、証人戸村敏治の証言によると、タイヤの跡にはタイヤの山形が明らかに残つていて、右は本来のスリツプ跡(車輪が回転しないで滑走したもの)ではないことを窺うことができ、証人鈴木さく、戸村ふじの各証言によると両名とも急停車の衝撃を甚だしく感じなかつたことが認められるから、自動車の速度は証人鶴岡章男の証言に従い時速二十粁と認めるのを相当とする。なお、証人鶴岡章男は、水溜りの右側を通過してから県道の東側を北進する自転車乗りと行き違うときこれに注意を促がすため警音器を一回吹鳴したと証言しているが、右証言ならびに同証人の検証現場における指示説明以外にこれを認めるに足りる証拠がなく、又仮にこれを吹鳴したとすれば同所は町道から至近距離にあたるので原告としては原動機付自転車のエンジンの音響に若干妨げられるとしても、聾者でないかぎりこれを聞き得る筈であるから、あらかじ自動車の進行を察知して衝突を避け得たであろうし、被告の自動車と県道東側との空間は約三米あり、これに対向してくる自転車乗りに対して注意を促がす必要も考えられないので右証言はにわかに措信し難い。

三  およそ道路を運転する車馬は左側を通行すべきものと定められているけれども、これは絶対的のものではなく(道路交通取締令第一二条、第二二条、第二三条、第二五条等参照)、本件の場合のように左側進路上に大きい水溜りがあつてこれを通過する時は車体に激動を与え汚水を四方にはねとばす等のおそれがあるのに対し、右側は路面が良好で他に通行の車馬のないときに一時右側を通行することは許されるものというべく、このこと自体で鶴岡運転手に過失ありということはできない。しかしながら右側を通行する場合は他の車馬や通行人に危害を与える可能性が大である(これらのものは自己以外の車馬が左側を通行することを予期し、これに応じて行動するものである、現に原告も左折するに際して一時停止を怠つたもので、右折する場合であつたら相応の注意を払つたであろう。)から、前方を注視するとともに特に進路の右側にある交さ道路の存在又は民家出入口の状況等に注意し、右側通行による危害予防に務めるべき注意義務があるところ、鶴岡運転手は前記のとおり当時早朝のことで歩行者も殆んどない状況であつたから進路前方に危険はないものと軽信し、対向してくる自転車乗りに注意を奪われて県道の右側に連続する生垣の中間に町道が存在することに気付かず(検証の結果によると、生垣のため町道の存在が一見して明瞭ではないが、町道は県道と十字型に交さするものであり、県道の東側にこれと対応する町道の入口が存在することは地形上比較的容易に確知し得るのであるから、よく注意すれば本件事故現場附近が町道との交さ点になつていることは衝突を防止し得る距離において知り得た筈である。)、警音器を鳴らし又は特に減速することなく前記の位置を進行したために本件事故を惹起したものであるから、原告を発見し急停車の措置をとるについて遺漏がなかつたとしても(鶴岡は自転車乗りに気をとられて原告を発見するのが瞬時遅れたと見られる節がある。)、結局鶴岡運転手に過失があるというべきである(接触の寸前に自動車の方が先に停車したとしても、このことは鶴岡運転手の過失について消長を及ぼすものではない。)。もちろん、原告が町道から県道に出る際一時停止するか又は徐行したならば本件事故は避け得られたであろうが、この点は過失相殺として損害賠償の額を定めるにつき斟酌すべき事項に過ぎない。なお、鶴岡運転手が貨物自動車に乗車定員をこえて乗車させ、又は荷台に人員を乗車させていたことは本件事故とは直接の関係はないものと認められるから、この点について同人の過失を問うことはできない。

四  次に被告は、本件事故が被告の事業の執行につき発生したものでなく、又被告が運転者の選任および監督につき相当の注意をしたから、いずれにしても原告の蒙つた損害を賠償する責任はないと主張するが、自動車損害賠償保障法第三条によれば自己のために自動車を運行の用に供する者はその運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、自己および運転者の双方が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことその他法定の除外事由の存在することを証明しない限り、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずべきものであつて、被告が自己のために自動車を運行の用に供するものであることは被告の自認するところであり、前記のとおり鶴岡運転手に過失があつた以上、被告において注意を怠らなかつたとしても、その責を免かれ得ないものであるから、右主張は採用できない。

五  よつて損害の額について考察するに冒頭掲記のとおり原告は医師に治療費千七百四十円を支払つたほか、前掲甲第二号証、証人高川松吉郎、鶴岡守夫の各証言および原告本人の供述を総合すると、原告は左示指第一節から切断し終生の不具者となつたこと、原告は田約一町、畑約五反五畝を自作する農業者で、原告の父母、妻および五人の子女の世帯主として農業経営を一手に主宰し従来は傭人も使用せずにおこなつて来たものであり、農業の合間には河川改修工事の人夫や千葉市所在川崎製鉄株式会社の臨時人夫として働らき、又春秋の農繁期には他人に傭われて馬耕の仕事をしたりしていたが、本件負傷後は労働力が著しく低下し特に重量物を持ち上げることや米麦の俵装等は非常に困難となり、これがため人夫仕事にも採用されぬようになつた上に馬耕の仕事にも出る余裕がなくなつたこと、当地方において原告のような農事に経験ある男子を作男として一年間常傭にした場合の賃金は食事付で一ヶ年金七万円位であり、食事なしの場合は一日金百円程度の食費をこれに加算すべきこと、馬耕の賃金は常傭で食事付一日千二百円位、請負の場合は反当り三百五十円であること、および原告が本件事故当時満四十五才の健康体男子であることをそれぞれ認めることができる。しかして昭和二十九年七月厚生省発表の第九回日本人平均余命表(記録偏綴)によれば原告は今後なお二五・二九年生存し得るものであるから少なくとも本件事故後二十年間は労働に従事し得るものと認められ、前記認定の各事実を総合すると、原告の農業者としての労働力は一ヶ年十万円に相当し、本件受傷により従前の労働力の少なくとも三割を失つたものと認められるからその間の労働力は低下による損害は一ヶ年三万円を下らないものであると推認されるところ、中間利息年五分としてホフマン式計算法により事故当時の一時払額に換算すれば金四十万八千四百八十二円となることは計数上明らかである。又原告としては本件事故により左示指第一節から切断して終生の不具となつたもので精神的肉体的に相当の打撃を蒙つているからその慰藉料も相当額計上すべきものであると認める。

六  しかしながら本件事故については被害者である原告にも過失があり、しかもその過失は相当高度のものである。すなわち、せまい道路から広い道路に入ろうとする車馬は一時停車するか又は徐行して広い道路にある車馬に進路を譲らなければならない(大道優先の原則、道路交通取締法第十八条)のであつて、右規定の趣旨は、小道にある車馬がまず停車又は徐行して大道の交通状態を注視する機会を作り、前途に支障のないことを確認してから進出することによつて交さ点における衝突事故の防止を期するにあり、これに対して大道にある車馬にこれらの義務を課せられないのは交さ点毎に停車又は徐行するの繁を避け、もつて長距離幹線道路の高速度輸送を確保するためである。従つて大道を進行する車馬は小道から進出する車馬が一時停車又は徐行することを期待して進行を継続すべく、ただ交さ点の状況により適宜減速し、又は進路を道路の中央寄りに変更し、あるいは警音器を吹鳴する等の処置を取れば足りる。原告が千葉県公安委員会から第二種原動機付自転車運転許可証の交付を受けたものであることは前掲乙第一号証によつて認め得るところであるから、原告はこれらの交通法規を熟知している筈である(道路交通取締令第六十五条の三第二項参照)のに右注意義務を怠り、鶴岡運転手の過失と相俟つて本件事故を惹起したものであつて、むしろ原告の過失が本件事故の根本原因であるといわなければならない(原動機付自転車のハンドルとガソリンタンクの間隔についての構造的欠陥および原告のハンドル操作の誤りについてはこれを問わない。)。よつて賠償額の算定にあたり原告の過失を斟酌し金十万円を相当と認める。なお、原告が自動車損害賠償保障法第十七条、同法施行令第五条第四号の規定による損害賠償額の支払のための仮渡金二千円の支払を受けたことは原告の自認するところであるが、右は損害賠償額確定までは債務の性質を有するものである(同法第十七条第三項によよれば、保険会社は仮渡金の金額が支払うべき損害賠償額をこえた場合はそのこえた金額の返還を請求することができるのであつて、損害賠償額は訴訟手続によつて確定されるものだからである。)からこれを前記認定の損害賠償額から控除しないのを相当とする。

七  よつて原告の本訴請求中金十万円および本件不法行為の後である昭和三十一年八月二十五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条、第八十九条を、仮執行の宣言については同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗)

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